という具合に「農夫茶(ノンフーチャー)」スタイルで淹れられた無骨なお茶は目の前に置かれていた。
そう。これが私たちの真の会話でもある。論よりも証拠。会話よりも、その産地から抽出された、その茶師の作ったお茶と「向かい合うこと」から始まるコミュニケーション。
青茶コミュニケーションがそこにはただある。
青茶コミュニケーションがそこにはただある。
まず、茶葉の大きさ、茶葉の揉み込み作業と高山茶の特徴である半球状の丸まった形を形成する揉捻(じゅうねん)の具合、焙煎による火の入れ具合と時間は茶葉の端の焦げ具合から、茎の長さ、形のそろい方、茶葉の開き方など実に様々な情報が読み取れるのです。
特に農夫茶スタイルでは、きつく揉捻された茶葉が熱湯にほぐされて開いていく姿から茶葉の形を如実に覗くことができます。
飲んでみなさいで始まって淹れられたお茶をレンゲで香を聞きながらテースティングすることは、私にとっていつしか日常になっていました。
お茶と向き合うことからはじまるコミュニケーション。
そこにはコミュニケーションという対人関係を想起しがちなものは何も無くて、香味を自分が認識しようとする旅だけがある。
実際のコミュニケーションにおける自分から人に歩み寄るのが苦手な人も、得意な人も、そんな難しいこ自体から解放されて、自分という殻から一歩前を向いてい進める。
そんな香りと味の世界が漠然と広がり、その広がったものを集めていく作業だけがあるように私には思えます。
この日も、そんなことが「いっぱい」のお茶でした。
お茶と向き合うことからはじまるコミュニケーション。
そこにはコミュニケーションという対人関係を想起しがちなものは何も無くて、香味を自分が認識しようとする旅だけがある。
実際のコミュニケーションにおける自分から人に歩み寄るのが苦手な人も、得意な人も、そんな難しいこ自体から解放されて、自分という殻から一歩前を向いてい進める。
そんな香りと味の世界が漠然と広がり、その広がったものを集めていく作業だけがあるように私には思えます。
この日も、そんなことが「いっぱい」のお茶でした。
山道:「う~ん。艶やかでなまめかしい。芳しくて力強く長いフィニッシュの芳香。これはズルくないですか?相当に茶葉を選りすぐっていますよね?この辺りの上の1700mの新芽クラスで後期(12月中ごろ)の採茶ですかな?」 | 黄錫組:「その二種類。同品質でね。茶葉の品質をそのまま持ち味にできるように、焙煎全くしていない生茶だよ。あとね、それらは君が悪いという品質の前期(11月中ごろ)に採茶されたものだよ。」 |
「やられた」と、思いました。
実際に、この二つのお茶は今まで飲んだどんな杉林渓高山烏龍茶より突出していたのですから。
山道:「完敗だよ!」
と、気づかされました。そう、私は知らず知らずの「情報」の波に飲まれ、それを前提にイメージを処理する作業に従事し、いつの間にやら不出来ならば自分の足で、良いものはないかと確認する作業を信頼する茶師にゆだねていたのでした。
どんなに悪い条件でも丁寧にいいものを作ろうとした痕跡がこのお茶から看て取れます。
とてもいい教訓になりました。
実際に、この二つのお茶は今まで飲んだどんな杉林渓高山烏龍茶より突出していたのですから。
山道:「完敗だよ!」
と、気づかされました。そう、私は知らず知らずの「情報」の波に飲まれ、それを前提にイメージを処理する作業に従事し、いつの間にやら不出来ならば自分の足で、良いものはないかと確認する作業を信頼する茶師にゆだねていたのでした。
どんなに悪い条件でも丁寧にいいものを作ろうとした痕跡がこのお茶から看て取れます。
とてもいい教訓になりました。